日記

サッカーのどきどき

ブラウン管に釘付けだった。

W杯最終予選。

Jリーグ開幕の影響もあって

サッカーの虜になっていた。

更に兄がサッカー部というのもあって

観るだけでなくサッカーをする事も好きだった。

当時10歳のあちき

普段は早く寝かされていたけど、

多分兄が観ていたのもあって、

起きて観ていたのだろう。

1993年のW杯の最終予選。

…空前のサッカーブーム。

最終予選のドーハの悲劇より少し遡るが

同年5月15日

J開幕試合はゴールデンタイムに生放送。

今は見なくなってしまったが…チアホーンが鳴り響く。

お祭りのような開幕だったのを覚えている。

ヴェルディ川崎VS横浜マリノス。

開幕戦。上がるボルテージ。序盤から激しい攻防。

前半19分のヴェルディ川崎のマイヤーが決めたミドル。

開始早々のあのゴールは燃えた。

かっけ~。

単純少年はサッカーの虜に。

Jリーグ。

開幕当初から

弱小チームと揶揄されながらも

あの赤が好きだった。

全然勝てず、サポーターからも

厳しいヤジが飛び。

暴動のような事も起きていた。

それでも好きだった。

一度だけ埼玉スタジアムにレッズを応援しにいった事があるが

あのチャントは凄まじかった。

グワっと飲み込まれたな。

あの熱いサポーターに胸打たれたな~。

さて日本代表の話に戻るが、

Jリーグ開幕の数年前までは試合会場をサポーターで

埋め尽くされることはなく

閑散としていたそうです。

しかし、Jリーグ開幕の熱狂とともに、W杯最終予選も大きな注目を集め

熱を帯びた日本列島。

日本対イラク戦がカタールで行われ

衛星放送の生中継であったにも関わらず

視聴率は38.3%。

今と違って情報はテレビだけだった。

つまり国民の約4割は観ていたわけだ。

しかもゴールデンタイムではないのに。

また前後してしまうが、

三浦知良選手ことキングカズはブラジルから日本へ帰国。

日本代表に初の外国人監督の招集。

少しずつ底上げがあった。

サッカーに対する意識が

選手含めサポーターも変わってきたのだろう。

カリスマ的な存在の選手も多く、

今のサッカー選手よりアイドル的な存在の選手も多かったように思える。

ただ…アイドルに終わらず、

結果を残し、確実にサッカーを魅了していった。

最終予選日本代表メンバーには今の代表監督の森保一さんがいた。

各チームのトップ選手が集まった日本代表。

前半早々に三浦カズが得点。

後半に追い付かれて

日本はその後ゴン中山が決め再び差をつけるが…

運命のあのロスタイム

僅かな隙、意表を突かれまさかの同点。

何度もプレイバック映像でも流れるが

その瞬間ほとんどの選手がその場に倒れこんだ。

我が家も兄とあちきは「うわ~…」となった。

その後試合は終了。

今思えばそれがプロローグだったのかな。

そこからの日本代表のレベルアップが始まる。

翌W杯の最終予選には

ジョホールバルの歓喜と称され

初のW杯に出場できるのだが、

またそこにもドラマがあった。

うまく結果を出せない加茂監督から

コーチであった岡田さんが途中から指揮をとることになる。

しかしUAE戦では引き分けW杯へ出場は危ぶまれる。

試合後サポーターからパイプ椅子や卵を投げつけられる事もあった。

個人的にサポーターのそういった行動は良くないと思うが

選手たちを鼓舞する事は良いことだと思っている。

海外見ればすごいもんね。

サポーターの熱量。

国民全体が応援し、士気を上げるきっかけになるのであれば。

大事な事であると思う。

さて予選はというと

次戦の韓国に勝ち、他のチームが引き分けという事もあり

2位へ浮上。

すでに韓国は出場を決めていた。

日本は第3代表決定戦へ進むことができた。

「ジョホールバルの歓喜へ」繋がる。

またしても他国での出場決定戦。

1997年11月16日PM10:00

この日もブラウン管に釘付けであった。

118分のドキドキ興奮の試合が始まったのだ。

この日も兄と観戦していた。

途中出場の野人岡野…。

大事な場面で、判断ミス、決定機を外してしまう。

実況しているアナウンサーも思わず「なぜ打たない。打っても良かった。」

と言ってしまう程だった。

当時まだ25歳の野人岡野。

未踏のW杯への出場の掛かった試合。

延長からの出場。

相手のスタミナも切れてきている頃。

期待されている事もあったでしょう。

計り知れないプレッシャーがあったよね。

今はそう思える。

海外で実力を付けている選手などはおらず、

チーム全体で意識的焦りはあったはず。

何度も惜しい場面を観ては兄と

「おい、おい、おい。」と興奮して、

「決めろよ~。」と更に興奮していた。

惜しいシーン度にめちゃくちゃドキドキしていた。

そして

ついにあの瞬間を迎える。

延長後半…試合時間118分。

中田ヒデの蹴ったボールが弾かれ、

押し込んだ野人岡野。

この瞬間、

わたしたち兄弟は

「っしゃぁあ~。」と

雄叫びをした。

近所のあちこちで同じように

雄叫びが聞こえて兄と「観てんだわ、みんな。」と

話していたのを今でも覚えている。

そこからW杯への毎回出場しているが、

ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経て、日本サッカーは大きく発展したし、

多くの選手が海外でプレーするようになり、日本のサッカーのレベルは向上した。

めちゃくちゃレベルが高くなった。

意識も高い。

海外で多くの選手がプレーをしていることは

J開幕当時を知っているものからすれば、

すごい事だと、単純に思う。

Jリーグ100年構想。

まさしくそのようなプロセスを踏んでいるように思える。

COBSANYAのお客様(小学生)でもサッカーしている方とお話すると

憧れの選手が今はほとんどが海外の選手だ。

国内しか知らなかった時代から、

海外に憧れる時代になっている。

サッカーだけうまくても…という事ではなく

語学力も上げなければと、習っている。

一見サッカーというものだけを考えれば、

語学なんてものに結びつかなった時代が、

今は結びついてしまうのだ。

発展している訳ですね。

今回も日本代表はW杯への出場権を得た。

しかも史上最速で。

そして無敗で。

バーレーン戦の日

久しぶりに生で観る事ができた。

めちゃくち痺れました。

川平慈英ならぬ、ウォ平慈英になってました。

現キャプテン遠藤選手。

彼のキャプテンシーは

とても高い評価を受けている。

クラブチームでバッシングを受けたことがあっても

という思いは人一倍違うのかもしれない。

なんかのインタビューで

「キャプテンとして選手の信頼を高めつつ、コミュニケーションを増やしながら

『優勝』という目標を変えず、ブレさせない方向へ導いていく。これが僕の仕事だと思っています。」

という記事を観た。

また後日に出ていたTVでも

W杯優勝に向けての思いを話していた。

そういう発言だった。

その思いは今の日本代表に浸透しており、

個人個人が「優勝」と話し意識している。

とてもいいチームなんだろうな。

先日のバーレーン戦を観て、

出場できなかったW杯から、

30年で辿り着いた日本サッカー。

期待したいです。

「熱」で周りの人は終わってほしくない。

野球にしても、陸上にしても、バスケにしても

どんなスポーツにしても、「流行り」で

終わってほしくない。

やっている人たちの目指すものを応援したいじゃない。

輝いているものを支えて応援したいじゃない。

さぁ北中米W杯はどんな展開が待っているのか。

今から楽しみです。

なんだかサッカーの事書きたいと思って

書いちゃいました。

サッカー好きに関わらず

スポーツ好きな方、熱く語りましょう~!

是非COBSANYAへ遊びに来てくれたら嬉しいです。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

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