ファッション アイコン
元々はスポーツ用品として数多くの品が世に出ているが、
スポーツ用品だったものが、ファッションアイコンへと移る瞬間って?
と疑問に思ったので調べたみた。
時代に乗り遅れているのは否めないが笑
気になったら調べたいのです。
私が中学生の頃は空前のナイキブーム。
みなAIR MAXやジョーダンなどのバッシュを履いていた。
特にAIR MAX95イエローは高値で取り引きされていたので
AIR MAX狩りなんてのもあった。
とにかくすごい社会現象だった。
(当時の日本での過熱具合はアメリカでは違和感を覚えていたそうです。)
怖くて履けなかったなぁ~。AIR MAX95持ってなかったけど。
ランクの高い靴を履いていけば、先輩に目を付けられる。
そして…呼び出され…あとはご想像にお任せします。
その時はブームに乗せられて私もAIR MAXを履いていた。95はさすがに履けなかった。
所有していたのがAIR PENNY2とトライアックス、AIR MAX96
(もうさすがに手元にはないので写真が載せられなくて…ごめんなさい。)
あとはVANSを数足。
昔からスニーカーが好きだったんだな。
思い出したことがあります。
AIR MAX96を買えたことが嬉しかった。
しかし悲しい事件が起きました。
当時の学生は大体の人はママチャリを乗っていた。
今は学生さんがママチャリを乗っているのは、全く見かけなくなった。
今の学生さんたちは、めっちゃいい自転車乗ってるもんな~。
んでだ、当時ママチャリ乗りの良い所は(ホントはダメだけど)
2人乗りが出来た事笑
荷台?というのかな?
後ろに座って2人乗りをしていた。
(ハンドルも後ろも改造もしたっけ笑)
AIR MAX96を買ってワクワクドキドキだった私は
2人乗りをしてた時にですよ…。
ヒールが車輪にイン・ザ・クラッシュ。
ヒール部分がもろに剥がれて、
エアーがプシューでして、
購入から数日のお命でした。涙
超~ショックでしたね。
直せるほどの傷ではなかったのです。
もろ剥がれ。あらわでした。スニハラですよ。
スニーカーからすればハラスメントな剥がれ具合でした。
スニーカーハラスメント
ねっ、スニハラ………。
調子に乗ると悪い事が起きる事をその時に学んだのかもしれません。
あ、余談過ぎた笑
本題、本題汗
ストリートで流行っている「DUNK」
「DUNK」は1985年に誕生した。
AIR JORDANを彷彿させるデザインになっているがエアバックは搭載されていない。
全米の体育大学協会に所属する強豪のバスケットチームへ支給。
更なるシェア拡大を狙っていたそうです。
バッシュはホワイトカラーが定番だったものを「DUNK」は
チームカラーを落とし込むという斬新なデザインでインパクトを与えた。
しかし賛否両論があったようで、発売当時は多くの売れ残りがあったそうです。
販売自体は好調だったが、流通も多かった故に、
最終的にはワゴンセールになってしまったカラーもあり、
「DUNK」のムーブメントに陰りが見えていた。
しかしここからがおもしろい。
ワゴンセールに目を付けたスケーター達。
一般の人も、靴は消耗品というイメージも多いと思います
スケートとなると消耗も早い。
スケーター達が「DUNK」を選んだ理由。
耐久性。ホールド力。つま先部分の特殊な加工で曲げやすい。
しかもソールのグリップ力。
これでもかという程にどれもが都合がスケーター達には良かった。
瞬く間にスケーター達に広まった。
スケーターファッションのアイコンとなった。
ファッションの一部になるのは時間は要さなったのだろう。
ストリートカルチャーは面白い。
ワゴンセールだったものが、いつの間にか流行ファッションのアイテムに
変わってしまうのだから。
そして、レジェンドのジョーダン。
彼の「AIR JORDAN」の始まりについて伝説が残っている。
知っている方も多いと思いますが、少しだけお付き合い下さい。
「AIR JORDAN」は今でも新作が出続けているが
その始まりは…
大学時代から華々しい活躍をしていたジョーダン。
そこでナイキが目を付けて(この時にスーパースターになる事を見越して)
ジョーダンに契約を持ちかける。
しかし、ナイキとの契約には消極的だった。
ジョーダンは「アディダス」と契約がしたかった。
その為契約に至るまで困難であった。
ナイキは彼のシグネチャーモデルを作り、しかも破格の契約金で勝ち取った。
また一足売り上げるごとに利益の一部が与える。
その大きく賭けにでた事で功を奏しナイキの運命を好転させる。
現在も市場で熱い支持を集めており、
2022年には売上高が初めて50億ドル=約6700億円超えた。
1人のバスケットプレーヤーに一つのブランドが賭けに出て
時代が動き、ムーブメントが起きて、知らない人はいないほどまで広がっていった。
初めてのエアジョーダン1(1985年発売)は約65ドル=約8700円で販売。
当初の見込みでは一年で10万足売れればとしていたが、
実際には6週間で150万足を出荷したそうです。
見込みの予想を上回る2600万ドル=約35億円の売り上げに。
販売開始から今も出続けているエアジョーダン。
全てにおいて規格外のエアジョーダン。
まだまだ「AIR JORDAN」の事で語りつくせないので
今回はここまで。
…ここまでバッシュの話だったので、
ついでに…。
コンバースが初めて手掛けたバスケットシューズ。「オールスター」。
沢山の人に愛されている靴でもある。
キッズモデルから定番の形で年代や製造国を絞らなければ、
どこでも手に入るアイテムである。
そんなオールスターは歴史は古く、1917年に開発される。
その中でも有名なのがチャックテイラー。
チャックテイラーはシグネチャーモデルの元祖と言われている。
(シグネチャーモデルとは簡単に言うとスポーツ選手とのコラボモデルの事です。)
チャックテイラーは引退するまでこのシューズを愛用していた。
いまや古着好きにはコンバース チャックテイラーは欠かせないアイテムですね。
ヴィンテージものチャックテイラーとなれば〇〇万の品物も…。
シグネチャーモデルの極僅かな物ですが…。
例えばの話ですが、当時は消極的な戦略だったりしても
どこでその商品が永久的に価値のある品に変化するかは分からない。
ストリートカルチャーの面白味でもあるな~と個人的に思いました。
だからCOBSANYAが数十年後に
「須賀川のCOBSANYAのオリジナル商品が…大変なことになっています。」みたいな事が
起こるかもしれない…笑
今は小さなお店だけど、
希望を持って継続していこう。
つまり、DREAMをDREAMに終わらせない為にも
お客様にとって、いい空間になるようにしていこうと思います。
なんだか宣言みたいになっちゃっいました笑
今、入荷したおもちゃの写真バシバシ撮ってますのでしばしお待ちください。
文字ばかりで読みづらかったと思いますが
最後までお付き合いいただきありがとうございました。