夢は死なへん
2024/12/15
ブログ久しぶりです。
新店舗の準備に追われ、
なかなか更新できませんでした。
今回は...
きっと誰も興味がないであろう、
前回触れた、
わたしの音楽遍歴について
書いてみようと思います。
まず音楽ってものに触れたのは
小学生低学年。
わたしには5つ離れた兄がおり、
兄が聴いていたCDを
一緒に聞いていた。
大江千里や小泉今日子
Class、たま、平松愛理などが
流れていた気がする。
意外と覚えているものだ~笑
ちょうど、きっと、Maybe…
カセットテープからCDに移行し始めて
普及し始めていたころだと思う。
当時は8cmのCDが縦長の形で販売していた。
シングルCDはケースに
入ってない状態で売っていたので
わざわざシングルのケースを買っていた。
兄の部屋にはまだカセットテープもあり、
光GENJIのカセットテープも持っていた。
しかしですね
そのカセットテープを兄とエアガンで撃ってました。
バッキバキになったカセットテープ。
ガラスの十代は
カセットテープを打つことで
世の中の不満を発散していたのでしょうか?
しかし、カセットテープは的にして遊ぶものではない…
(小さい内にエアガンはダメっと
my sonに言っているが、当の私はやっていたんだね。)
(でも、だめよ…やっちゃ。)
(ならぬものはならぬ…のです)
そうだよね~。
うんうん、カセットテープで音楽を
聴いていた事もあったね。
あれ?
そういえば、
ブラフマンのデモテープ…
持っていたような気がする…
どこ行ったんだ?
覚えておらん。
まぁいい。仕様がない。
そう、この私がロックを聴くまで…
パンクやロックなどを聴くまでの道のり。
いろんな道のりがあって辿り着いた。
昔から音楽は好きだった。
ちなみにわたしが自分のお金で初めて買ったCDは
中島みゆきさんの「旅人のうた」です。
この曲はドラマ「家なき子2」のエンディングテーマ。
すごい内容のドラマだったな~。
今の時代では放送できない内容だろうな。
さてCDの話に戻ると…
昔住んでいた家の近くに
レンタルビデオ屋さんがあった。
そこのレンタルビデオ屋さんの
お外にCDの自動販売機が置いてありまして
…CD自動販売機って
どこにでもあったものなのかな?
まぁ~いいや笑
そのCD自動販売機は
フライングゲットする事もできた。
すげ~曖昧な記憶だけど、
当時CD発売って水曜日が多かった気がする。
調べてみたら、
商業的に集計ランキングの結果が
翌週に反映するために水曜に販売日。
フライングゲットが火曜日になる
設定になっているからさそうです。
その自販機は
ちゃんと時間にならないと買えないもので、
そこらへんもしっかりしていた。
CD販売を知った私は、
そこのお店へダッシュしていた笑
…話はちょっと逸れるが
一昔前までは
音楽番組が多く、
内容も濃かった。
今みたいにすぐ情報を得るのが難しかった。
ネットみたいに先行の情報も
仕入れることもできなかったし、
私自身、人からの情報が多かったな。
なにより音楽番組自体も面白かった。
「HEY HEY HEY」や
「うたばん」
「カウントダウンTV(深夜版)」
「POP JAM」
「FUN」
「ブレイクアウト」など
そしてローカルな番組「VJパロパロ」。
とにかく一週間のうちに
沢山の音楽情報番組があった。
先ほども述べたが
今みたいに情報も豊富でなかった時代。
コンビニでは音楽系の週刊誌が置かれていた。
CDで~た、オリコンを見る楽しみがあった。
書店にある月刊誌なども、然り。
好きなアーティストが出ると分かると
クラスで情報を共有して
いついつTVの出るよと教えたり教えられたり。
その日までワクワクしながら過ごしていた。
当日の出演時間になるとTVの前に正座して
きも~ちTVの音量あげて
観ていた。
そんな時代。
そんな時代に買ったCDは「旅人のうた」
正直初めて買ったCDが中島みゆき氏というのは
かっこいいよね。センスを感じます笑
(自分で言うんかい笑)
心を突き動かした要因とかは
思い出せないが
絶対買うと。決めていた心は覚えている。
お小遣いを握りしめて
ドキドキしながら買ったなぁ~。
そんな純朴少年は
何きっかけかは覚えていないが、
ヴィジュアル系にはまる。
いや堕ちる。
(ヴィジュアル系っぽく言ってみた。)
ここから
~闇期の始まりだ~
☆サブタイトル☆
…まどろみの中の孤独に震えたピエロの狂おしいほどの刹那編…笑
(意味分からん)
柔らかく言うと
「うとうとしている時、
ひとりぼっちの怯えて
細かく揺れ動く道化師の、
気が違ってしまいそうな気持ちの瞬間」
(余計意味分からん)
あっ、この無意味な解釈の10秒間
勿体ないと思ったアナタ…。
それ正解です。
…まっ、脱線ありきのブログなので笑
それでですね…
クラスで流行っていたのは事実だけれども~
世の中もヴィジュアル系ブームだったけれども~
流行りは流行りでも
ディープな方へ行ってしまうと
怖いんですよね。
いやね、中学校の頃、
同じクラスに放送委員の子が居まして。
その子と仲が良かったもので、
頼み込んで
あたくしめが持っております、
CDを給食の時間に
流してほしいと頼んだことがありました。
だもんでイキった、あたくしめが
チョイスしたのが
マリスミゼルの「N・p・s・N・g・s」つう曲。
ナプスナグスと読み、
正式には「NO Pains NO Gains」
訳すと(痛み無くして得られるもの無し)
まぁ今思えばですね、
給食時に流す曲ではない。
そして全校生徒に聴かせる曲ではない。
もしも、その時の校長がですね、
あたくしでしたら、
放送室へ猛ダッシュし、
トムブラウンの布川氏ばりに
「ダメーーー」ってやる。
うん。
「ダメーーー」って。
だってよ、歌詞が
「幾つもの幻覚を君の耳元でささやき
君の回路をshortさせて治してあげる。」
ですよ~。
中学生の給食もとい
どの世代にもこの曲は食事中にあわんよ。
なぜその曲をチョイスした。
この曲を選曲した
自分に酔ってたんだろうなぁ~笑
まさしく闇期。
歌詞の最後のほうには
「太陽になりたくて月の上で僕は
胸にKnifeを突き刺して遊んでいる。」
…ねっ。
給食ではしっかり最初から最後まで流れました。
こんな曲を選曲したけど、小心者のあたくしは
「誰だ、こんなCDを持ってきたのは!」
って、先生に怒られるんじゃないかと
内心ドキドキでした。
昼休みに友達に
「あれはないわ~。」と言われたな…笑
ビビりながらも、
その後も給食中に
MY CDを流してもらう事は続きました。
ヴィジュアルイキりのあたくし
とうとう調子に乗り始め
CDが流れ始めた時に目の前の娘が
「これ何~?」
って、聞くものだから
「そうかそうか、この曲を知らんのだね、
教えてしんぜよう。この曲はだね」
↑ここは脳内一人会話。
そんで意気揚々と「○○の●●って曲だよ。」と
流し目で伝えたわけですよ。
返ってきた言葉が
「えっ?給食の話だよ。この料理何?」って。
ものすんごく、
恥ずかしかったです。
まんじで、
お道具箱に入りたいほどでした。
あっ中学にお道具箱はないか笑…。
一回家に帰ってもいいと思った位です。
お家に帰って鍵かけて、チェーンロックを掛けて
いない、いない詐欺をしたかった。
得意げに、
大きな声で答えた、
おいら。
赤面でふ。
「コアな音楽知ってんぜ、俺ってば」
という風に、なってたし、
ピノキオのように伸びきっていたお鼻さん。
ポキっと折ってほしかった…。
この時に調子に乗ったらダメって学んだのです。
まだまだヴィジュアル沼から抜け切れず…
腰までつかっていた、
あたくしはついに母にまで
好きなヴィジュアル系バンドの歌詞を見せては
感想を聞き出していた。
この頃は暗黒期よね。
…かぁちゃん。ごめんよ。
きっと怖かったろうに。
理解に時間の掛かる歌詞を、
自分が書いた作文のように読ませて。
(作文だったらもっとこえぇ~ですね。)
様々なヴィジュアル系バンドを知り聴き
次第にディープな、ディープな方へ漆黒期に…。
~漆黒期~
☆ディープなフォレストにハートは盗まれて編☆
辿り着いたのが
「メリーゴーランド」っていうバンド。
あくまで歴史の話です。
決してヴィジュアル系を面白可笑しく言っているわけでなく、
それを聞いていた時代があったという事実で
気分を害さずにこのブログを
読んでもらえたら嬉しいです。
このバンドのアルバムタイトルが
「放送禁止の死んだふりをする潔癖症の実験体と、
箱の中の毒入りショートケーキ」
というやつです。
中学生になった息子の部屋から
もしこのようなタイトルのCDが出てきたら、
正直ヒヤっとしますね。
おどろおどろしい名の
タイトルなのは本当ですからね。
しかし本当にこの世界を愛している方は
メリーゴーランドを
「独自性とロック感は唯一無二の世界観で
型にはまることなく曲作りをしている」
と評価されている。
ヴィジュアル系という枠ではない、
ともされています。
身近に聴かれていた方いらっしゃいましたら、
是非ヴィジュアル系トークをしましょう。
そんなヴィジュアル系のバンドの
CDの特権が凄かった。
初回生産限定盤のクオリティの高さが特に
当時シングル1000円ほどだったが
(今思えばちゃんと採算とれていたのだろうか…。
いらぬ心配をしてしまうほどの)
めちゃくちゃ豪華だった。
初回限定盤のCD欲しさに
みんなでチャリンコ漕いで
郡山駅前のミノヤさんに行っていたなぁ~。
(郡山の菜根って所には
ビーズっていうCD屋さんもあって良かった。)
今はどちらもなくなってしまったけど、
確かミノヤさんは福島市にもあって、
その店長さんが前述した
「VJパロパロ」の番組司会をされていた。
店長さんの力で数々のアーティストがゲストに出ていた。
この番組かなりマイナーなチョイスが多かった。
ランキングに登場しないような
バンドマンが特集される事も多々あり。
MTVのみたいに
90分一つのアーティスト特集。
そんな週もあった。
深夜、ローカルならではのスペシャル感。
ファンにはたまらない時間。
贅沢な90分。
すげ~コアな番組でしたね。
その番組で知ったバンドは
自分が見つけた感があって楽しかった~。
(TVからの情報であって、
自分で発見はしていないのだけれども
自惚れさんだったですね。)
この頃に
ヴィジュアル系のあたくし的終焉を迎える。
今でも観てもマリスミゼルの
世界観はすごかったと思います。
壮大なスケールだったと。
演出も音楽的要素も、
郡を抜いて際立っていたと思います。
ビジネス的にも魅せ方というものは長けていたと。
評論家ではないけど、
その位存在感は半端なかった。
そして
☆ロックロックこんにちは、の時代に突入。☆
~小さな少年ギター握らず、
チャリンコのハンドル握ロック編~ の始まりだ。
メロディックパンク、
ジャパニーズロック、
ミクスチャー、
ハードロック、
ハードコア
スカパンクなど
記憶は曖昧だが、
VJパロパロで知ったと思う。
J-POPも扱っていたし、
偏った音楽番組ではなかったと記憶にはある。
時代が流れ我が家にも
MDコンポを(自分で買った)置くことになる。
嬉しさから、沢山録音して
ポータブルMDで聴いていた。
ちゃんと○○の●●のCDと意識して
パンクロックを聴くようになる。
あたしは
ハイスタンダードが好きと公言しているが、
一番初めに同系ジャンルで買ったCDは
「NICOTINE」の
「Pleeeeeez!Who Are YOU」。
確かビーズで買ったんだよな~。
わたし的にはネイティブ発音に聞こえていたので
初見では外人さんのバンドだと思っていた。
日本人のバンドでALL英語歌詞に触れたのは
NICOTINEが
初めてだった。
手にした理由はジャケットからでした。
アメリカンチックのイラストで、
かっけぇ~な。
それだけでした。
その後、何枚かNICOTINEのアルバムを買った。
そんでMDで学校行くときに聴いていた。
だから今でも聴くと思い出すなぁ~。
当時の光景~。
そこから浅い知識ながらも
ジャパニーズのパンク、
ロック、
スカ、
ロカビリーと
聴くジャンルが広がるようになっていきました。
今までのミーハーと違う
探求するようになった時期でもある。
いろんなジャンルの音楽を知るようになり、
音楽の世界って広いなって。
思いましたね。
(語彙力のなさ笑)
NICOTINEの影響からか、
ジャケ買いというのもよくするようになった。
だけどジャケ買いで多々失敗もしたなぁ~。
好みではないな~って。
ジャケットのギャップはたまにがっかりした事もあった。
ジャケギャの乱でした。
「なんじゃい、こりゃ~( ゚Д゚)」って
一回聴いて終わりみたいなね。
ハイスタンダードのジャケットは
安定的にかわいいよね~。
レゴで同じ世界を作りたい。
ジャケ買いが進んでいく
そんな中
衝撃的な出会い。
今でも断トツ、一番カッコいいと思うCDジャケット。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
の「RUMBLE」
始めてジャケットを目にした時の衝撃はほんとすごかった。
やばっっっ、かっけ!!!はぬ~ん!!!
それ以上の言葉はなかった。
それまでミッシェルという
バンドを知らなかった。
その知らない中で聴いた一発目。
キャンディー・ハウス。
すべてを持っていかれた。
そこまで性能の高くないCDプレーヤーで
アナログチックな音で
かすれたようなノイズに合わせて
流れるミッシェル。
今思うと
その音が
余計にミッシェルというバンドを
魅力あるもの演出してくれていた。
高校時代…私は定時制でした。
下校時間は真っ暗な時間。(21:00)
まだチャリンコだったあたいは
イヤホンあてて鬱蒼とした帰り道を
帰っていた。
脳内で細胞が破裂するかのように、
一曲一曲が響いていた。
変則的にリズムが変わっていく。
ゆったりとしていたかと思えば後半
捲し立てるかのように早いピッチに変わる
「君に会いにゆこう」は
自然と漕ぐスピードが上がっていたな笑
田舎の少年を
めちゃくちゃな
ハードボイルドな大人の色気の世界に
一瞬にして連れて行ってくれた。
ギターがどうとか、
ベースがどうとか、
ドラムがどうとか、
あたしには難しいから分かんないし
素人が語るものでもないと思っています。
だけど素人が聴いても
ミッシェルは違うのは分かった。
説明いらずにかっこいいと思った。
それだけの事なんです。
ミッシェルをずっと聴いていた。
一曲一曲の思い出を伝えたいけど、
語りつくせないから
刺激を受けた曲を
もう一つだけ話させてください。
同じように初めて聴いたRUMBLEに入っている
「CISCO~思い出のサンフランシスコ」
だ。
歌詞は
Cisco!としかない。
とても重いパンチを食らったかのようでした。
めちゃくちゃ重いハードなパンチ。
それでいて疾走感が半端ない。
今でも何回聴いても鳥肌が立つ。
映像で観るとアベ氏(G)の
目だけで殺気を感じるほど。
めちゃくちゃかっこいい。
漢(オトコ)を感じた。
この一曲、この一瞬に、
全霊をぶつけている。
死んでもいいからなと、
体現しているようだった。
あまりのカッコよさに、
見ていて泣いたこともあった。
実際にミッシェルのライブを
観に行くことは叶わなかった。
沢山の伝説を残したミッシェル。
これ以上話してしまうと、
ミッシェルの何を知っているんだよと
思われてしまうかもしれない。
でも好きという
気持ちを分かって貰えたら嬉しいです。
ミッシェルにしても、
ROSSOにしても、
THE Birthdayにしても、
THE GOLDEN WET FINGERSにしても
俺は無敵だぜって気持ちにさせてくれる。
スタイルも
生き方も
本気でチバさんに近づきたくて
きつめの煙草に
ビール飲んで
度数の高いアルコールを飲んで
しゃがれた声にしようとしていた。
お酒で喉を潰そうとしていた。
そんな事毎晩やっていたので
身体がおかしくなり、
やめた笑
ほんとうに憧れていた。
チバさん。
この時期はラジオから
ROSSOのシャロンが流れる事がある。
自分で買ったCDを聴くのと
ラジオのリクエストで聴くのって
同じ曲でも雰囲気が変わって聞こえるのって
あたいだけなのかな?
友だち界隈もパンクロックを聴くようになっていた。
それぞれのお気にいりのバンドを話し合いしたり
CDの貸し借りをしていた。
その時に出会ったのが
ブラフマン。
また違ったかっこよさがあった。
まだ無口だった頃のライブ中のトシローを真似て
友だちとパンチ合戦をしたものだ。
とりあえず飲んではトシローになりきっていた。
パンチ合戦して汗まみれになって笑っていた。
そんな記憶があるから
高校野球甲子園で
「SEE OFF」が流れていると
不思議な気持ちになる。
同時期に深夜の音楽番組
多分これもVJパロパロだったと思う。
GOING STEADY
「MY SOULFUL HEART BEAT ME SING MY SOUL MUSIC」の
※のちのアルバム「さくらの唄」のもしも君が泣くならば。
PVが流れていた。
めちゃくちゃ汗くさくて、
同じ匂いがした。
なんだろうな、
男しか分からないかもしれないが
「四畳半のカビ臭い部屋で、
思春期を迎えた少年」って感じ?
自分でもなにを言っているか分からないけど、
そんな雰囲気を感じさせた。
泥臭く、
目をこれでもかって程見開いて、
唾が飛ぶほどに
勢いよく歌っている姿はなぜか涙した。
GOING STEADYを聴くと
中学校の頃、教室のどこかで
誰かが聴いていたブルーハーツを思い出した。
あたいはブルーハーツを聴きたくても
クラスのヒーローが聴いていて
その子に近づきたくて聴こうとしたけど
恥ずかしくて聞けなかった。
その位引っ込み思案だった。あたい。
だから
ある意味、思い出深い。
ブルーハーツをしっかりと聴くようになったのは
高校時代の頃。
中学生時代、ブルーハーツを聴けなかった自分が
憧れの誰かじゃなく、
自分で知って
見つけたバンドとして
GOING STEADYを聴けるのが
なぜか嬉しかった。
まだ有名になる前だったから?
いや自分だけの宝物みたいだった。
時代も重なり、
なんとも言葉では表現できにくい
青春時代の息苦しさを
代弁してくれているかのようでした。
GOING STEADYには
青春時代がいっぱい詰まっている。
余談になってしまうが、
東京に住んでいたころ、
高円寺に遊びに行ったときに、
純情商店街を見た時、
「こんれが、
ずんぞうそうてんがいけぇ~(純情商店街か~)」
と、お口をあんぐりしていたのを
今でもはっきりと覚えている。
峯田氏と同化したと思ったYO・NE笑
同じ東北出身の若造が、都会さ出て、
峯田もおんなし景色みてんだべが~って笑
電車移動の毎日だから
音楽は余計に身近にあった。
都会の色に染まると
おしゃれなハウスとか聴くようになり、
しばらくロックから遠のいていた。
しかし、ロックへパンクへ戻る。
踊ろうよ、混ざろうよ、ロックンロール
~日本を飛び出て、大航海時代編~
あっ上京前、いつも面倒を見てくれた
先輩がロカビリー好きで
そこで沢山の音楽の事、教えてもらいました。
派生してサイコビリーも聴いていた。
エルビスプレスリー、
バディーホリー、
ストレイキャッツ、
チャック・ベリー
王道な面々かもしれないが、
ロックの歴史を学びました。
ルーツを辿れば、
数々の好きなアーティストが影響を受けていた方達だった事も知る。
先輩から初期パンクの事なども
遊ぶ度に教えてもらっていた。
あの時代は刺激たっぷりでした。
どっぷりハマっていたから
最新のチャートに入るような曲は
なんとなく知っていても
歌う事なんてできず…。
だからカラオケ行っても
当時の流行り曲は歌えなかった笑
いや~
健全なる合同的な男女で飲みましょうの会に
お呼ばれして、
二次会のカラオケ行っても、
「ガナルワレルダレル~」って
「ロジー、教えて、ロジー」って歌ってた。
当時はEXILEをどんだけカッコよく歌うかが
モテた時代だと思っている。
そんな事気にせず
酔ってロックンロールを歌ってた。
当時のGAL達の前でも歌っても
響かないしなんの感動もない。
寂しくはないし悲しくもないし、
だから
健全的男女合同飲み会では
カラオケボックスの角を見つめていました。
音楽の話になっても、
会話について行けませんよね。
だもんで男同士でカラオケなんて行けば、
ライブばりに騒ぐ迷惑客ですわ~ね笑
何回グラス割ったろう…
ごめんないさい…。
音楽は心も体も突き動かすって事で、
許してね。
今でも青春時代を生きていると思っています。
そんな青春時代の側にあるのはいつも音楽。
今は音楽をいつでも聴くことができる。
CD、DVD、サブスク、ラジオ。
どれもその瞬間にその風景に染まれる。
どこかのだれかのその時の心情で
リクエストされたラジオから流れる曲。
すごく好きな時間。
リクエストされた方の
エピソードも重なってか
胸がぎゅんってなる。
さっきも触れたけどラジオで流れる曲って
なんだか変わった味わいになる。
この間、
くるりの「ばらの花」が流れていた。
よかったな。
今度あたいもラジオにリクエストしてみようかしら。
まずはラジオネーム考えねば。
そこかいっ汗
妻はもともとレゲエを聴いていたが、
最近は一緒にKEN YOKOYAMAなど聴いてくれる。
そんな妻が
「Dizzy Sunfistええで」
と言ってきた日はびっくりした。
あやぺたになりたいらしい。
嬉しいですよね。
音楽の話を一緒にできるって。
さくっと、ざっくりとした音楽遍歴でした。
また別な機会にバンドを絞って話してみようかしら…。
みなさん読んでくれるかしら…。
読んでくれるかな?
「いいとも~。」
ねっ。
はい。今回はここまで。
お店の準備で頭の中がぐっとなっていたので
リフレッシュタイムっつう感じで書きました~。
ほいでは。
バイナラ~。
進捗状況も楽しみながら
新・COBSANYAを待ってくれたら嬉しいです。
最後に